博多区美野島で開院した院長はどうして鍼灸師になったのか?
- コラム
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スポーツトレーナーになりたく鍼灸専門学校へ
院長は小学校、中学校と野球が大好きな野球少年で高校では陸上競技部に所属していました。高校3年生の時に九州大会に出場出来ましたが、全く通用しませんでした。そこで、この選手達のサポートを出来るスポーツトレーナーになりたいと思い、色々調べた結果鍼灸師を目指し鍼灸学校に入学しました。実は、入学するまで鍼灸施術を受けたことは全くありませんでした。
今思えば、良く鍼灸受けた事ないのに、鍼灸学校行ったなと思います。鍼灸師のイメージが全くありませんでしたからね。
ちなみに、鍼灸師になりたいと言ったら父に反対されました。
四国医療専門学校でステキな出会いが
鍼灸学校は香川県の四国医療専門学校へ行きました。
この時にステキな出会いがありまして、のちの師匠の息子さんがたまたま同級生にいたのです。これは院長にとって大変ありがたく、鍼灸師とはを知る事が出来たのです。
四国医療専門学校でただスポーツトレーナーになるのでなく、身体も整えることのできる経絡治療を極めることを誓いました。
高知県で経絡治療を修行
四国医療専門学校を卒業して高知県へ行き、日本氣鍼法会に入会しました。
結果的に高知県で5年修行することになりました。経絡治療の他に今の施術の基本となる散鍼もここで、身に付けました。
高知県で修行したから今鍼灸師でやっていけてるのです!高知県に行ってなかったら、自分がどうなってたんだろうと考えるのがちょっと怖くなります。
https://maze-acupuncture.blog/hari
上記は高知県で身につけた散鍼について書いてます、
九州に帰り、福岡県の美野島で南風鍼灸院を開院
大分県出身で長男の院長も両親の近くに帰りたく、九州福岡で開院することにしました。
博多区美野島で開院しましたが、特にリサーチすることなく美野島商店街で南風鍼灸院を開院することとなりました。美野島商店街の方々は本当に優しく、美野島を選んで本当に良かったと思っております。
南風鍼灸院はなぜ「まぜ」と読むのか?
南風鍼灸院は「みなみかぜ」や「なんぷう」ではなく、「まぜ」と読みます。師匠に「みなみかぜ鍼灸院」にしますって言ったら、
「みなみかぜって漢字で書いたらまぜやね」
って言われました。「まぜ」とは漁師言葉のようです。
地域の方々から「まぜさん」「まぜ君」と親しんでもらってるので、「まぜ」で良かったと思っております。